インターネット科学情報番組
このページはインターネット放送局くりらじが毎週放送している科学情報ラジオ番組「ヴォイニッチの科学書」の公式サイトです。 [今週の Openig Talk] ■L2リサジュ軌道って何? L1点からL5点というのは太陽を中心としてその周りを回る地球の軌道周辺に人工衛星を置く場合、地球の重力、太陽の重力、そして置いた人工衛星の遠心力のバランスがとれて位置が安定する場所のことで、「L」はこの点を発見したジョセフ・ルイ・ラグランジュの頭文字です。 L1点は太陽の重力と地球の重力プラス衛星の遠心力のバランスがとれた場所、L2点は太陽の重力プラス地球の重力と衛星の遠心力のバランスがとれた場所、L3点は太陽を中心に地球の点対称となる場所で太陽の重力プラス地球の重力と衛星の遠心力のバランスのとれた点です。このL1点からL3点はラグランジュポイントの中ではやや安定を欠くのですが、L1点、L2点は地球から比較的近い(150万キロメートル)というメリットがあります。残りのL4点とL5点は地球の公転軌道上で地球を中心に60度離れた対称の位置にあり、太陽の重力と地球の重力と衛星の遠心力がこの3点を結んだ正三角形の外側に向かって作用してバランスを取っている点でこの周辺では物体はL4点またはL5点に近寄っていこうとする働きがあるので衛星の位置を制御するには望ましい場所といえます。 次にリサジュ軌道というのはフランスの科学者J.A. Lissajousが考案した複雑な関数のグラフに基づいてリサジュ点を回る軌道で、一般には直角な2方向の単振動を組み合わせたときに描かれる図形と言われていますが、わかりやすく言うと、x-yグラフのそれぞれの軸上に任意の関数で定義された周期で直線往復運動をする点を仮定して、時間経過ごとにその点のx座標y座標をグラフ上にプロットした点の軌跡として表現できます。関数がある条件を満たせばいつかは必ず元の位置に戻ってくる軌道であるという特徴があります。 ハロー軌道というのは、先ほどL1点、L2点、L3点は安定に書くと言いましたが、この周辺で安定な場所を探すと三次元軌道を描くのですがその軌道のことで、もともと地球と月の周辺でこの軌道を探したところ、月の後光(ハロー)のような軌道だったことからハロー軌道と呼ばれているようです。 ちなみに、ジェームズウェブ宇宙望遠鏡が置かれるL2点は太陽と地球を結んだ直線の延長上で、地球と同じ公転周期で太陽の周りを回りますので、常に太陽を地球が遮った影の中ですので宇宙望遠鏡を設置するには非常によい場所といえます。
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Chapter-66 3750年前のミイラ 早稲田大学のプレスリリースによりますと 早稲田大学エジプト学研究所の調査隊は2004年12月22日から2005年1月14日にかけて、エジプト・アラブ共和国、ダハシュール北遺跡における第10次発掘調査を実施し、1月5日に未盗掘の木棺とその中に納められたミイラを発見したとのことです。 今回発掘調査が行われたダハシュール北遺跡は、エジプトの首都カイロから南方約25kmのナイル川西岸に位置しており、古王国時代や中王国時代のピラミッドが立ち並ぶことで有名な地域なのだそうですが、1995年からの調査によってこの地域で新王国時代の遺跡が見つかり始め、今回の調査もその延長線上にあったようです。 古代エジプトは紀元前3000年頃に成立した国家で紀元前31年にローマ帝国の支配下にはいるまでおよそ3000年にもわたって続いた国家です。「エジプトはナイルのたまもの」という言葉は学校の歴史の時間などに聞いたことがあるかと思いますが、古代エジプトの時代からアフリカ北部は砂漠だったのですが、ナイル川周辺のみは日本の国土の4倍もの広さの肥沃な大地が広がっていました。この肥沃な国土は毎年定期的に氾濫したナイル川によって肥えた土地が下流に運ばれてくるために形作られたのですが、この氾濫を予測するために暦に関する研究が進展したと言われています。 ダハシュール北遺跡に多く見られるピラミッドが建設された古王国や中王国という時代ですが、古王国は古代エジプトの政治が非常に安定していた時代で有名なギザの三大ピラミッド、クフ王、カフラー王、メンカウラー王、が建設されたのもこの時代です。 中王国は紀元前2000年頃から紀元前1800年頃で青銅器時代に相当します。 この地は元々それらの古代エジプトの中でも古い時代の遺跡が多かった地域なのですが、1996年に開始された早稲田大学エジプト学研究所による発掘調査によって、この地域に新王国時代の墓地遺跡が存在することが明らかとなりました。 新王国というのは紀元前1500年頃からの時期で、この時代の有名な王様としてツタンカーメンが挙げられます。このツタンカーメン王の名前が刻まれた異物がこの周辺の大型墳墓から出土しており、ダハシュール北遺跡は新王国時代に営まれた墓地であることが明らかとなっていました。 2004年から発掘調査で「プタハ神のウアブ神官」の称号を持つタなる人物の墓を発見したのですが、今回のテーマである未盗掘の木棺は、タの墓の南側に位置するシャフト(縦穴)42号墓内地下5mで発見されました。このシャフトには大量の岩が投げ込まれており、またタの墓がシャフトの上に覆い被さっていたことにより、これまで盗掘を免れてきたものと思われています。 木棺の大きさは、縦:182cm 幅:57cm 高さ:105cmと極めて大型であり、全体が黄色で塗られ、全面に銘文体が水色で描かれている他、「ウジャト(ホルスの眼)」と呼ばれるエジプトの古代遺跡でよく見られる形態の両目が描かれていて、これは使者が外を見るとこができるように描かれたと言われています。使われている青い色は古代エジプトでは海に見立てた大空を太陽の船に乗ってあの世へ旅立つイメージで使われるようです。 木棺の中には、多彩色のマスクを被ったミイラが納められており、この被葬者は「行政官」つまり、軍事を司る位の高い役人でセヌウという名前であることが銘文から読み取れました。木棺の形態から、セヌウは中王国時代(約4000-3500年前)の人物と考えられます。したがって、発見された彩色箱型木棺とミイラはツタンカーメンの時代よりも古く、未盗掘、未損傷の「完全なミイラ」として学術的に価値の高いものなのだそうです。 この木棺を開いてみたところ、ミイラには亜麻布を漆喰で固めたマスクがかぶせてあり、その上から全身を真っ白な亜麻布でつつんであったのだそうです。この亜麻布はまだすべてはがされておらず、ミイラの状態なども一切わからない状態で今後の研究が待たれます。 |
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