このページはインターネット放送局くりらじが毎週放送している科学情報ラジオ番組「ヴォイニッチの科学書」の公式サイトです。
>>「Mowton(放送終了)」はこちら |
Chapter-30 吉田光由は1598年に生まれた江戸時代初期の数学者です。京都嵯峨野の大貿易商の息子として生まれ、現在のベトナムへ朱印船を派遣することにより莫大な利益を上げていました。また、一族には治水事業や河川開発の技術を持った者もおり、そのような環境で生まれ育った吉田光由は幼いときから数学が好きでした。 さて、この吉田光由は、「塵劫記(じんごうき)」という数学書を書きました。時代は17世紀初頭で、人々が経済や学問に力を入れようとしていた時期でしたので、大変な評判となり、時代は下って明治時代になっても、政府が作成した数学の教科書の手本にされたほどの物でした。 中国の数学書に記された位取り方法をお手本に、この4桁ごとに名前の変わる位取り方を考え出したのが実はこの吉田光由です。 数字が大きくなる側については、一、十、百、千、万とすすみ、ここから先は4桁、すなわち1万倍ごとに呼び名が変わります。万の一万倍は億、億の一万倍は兆と続き、以後、京、垓(がい)、杼(じょ:ただし禾ヘン)、穣(じょう)、溝(こう)、澗(かん)、正(せい)、載(さい)、極(ごく)、恒河沙(こうがしゃ)、阿僧祇(あそうぎ)、那由他(なゆた)、不可思議、無量大数(むりょうたいすう)となります。ちなみに、無量大数は10の68乗となります。 恒河沙・・・恒河というのはガンジス川のことで、ガンジス川の砂の数に匹敵するほど大きな数字という意味 問題の答え |